いつの頃であったか、権大納言《ごんだいなごん》で大将を兼任している人がいた。容貌・学識・態度を初めとして、人柄や世間の評判も並々でなく優れていたので、他人から見れば何一つ不満があるような身分であったが、心中は人知れぬ悩みで尽きる事がなかった。
奥方は二人いた。一人は源宰相《げんさいしょう》の娘である。大将はそれほど深く愛情を掛けてはいなかったが、初めての妻であったのでおろそかにはしなかった。そのうちに玉光るような男君が生まれたので、いよいよ大切にするようになった。もう一人は藤中納言《とうちゅうなごん》の娘である。この人にもとても美しい姫君が生まれたので、限りなく大事に育てたのであった。
大将は、二人の夫人がそれほど美しくない事を不本意で口惜しく思っていたが、今はそれぞれの子どもが美しく成長するので、どちらの夫人からも離れる事が出来ず、落ち着いた関係を続けていた。
子ども達の容貌はどちらも優れていた。また二人の顔はよく似ていて、取り間違えそうなくらいであった。同じ場所であったのなら色々と不都合もあったであろうが、別々の場所で育てられたので特に問題は無かった。二人の顔が似ているとは言っても、若君は上品で気品高く、女性のようななまめかしさを感じる一方、姫君は華やかで気力に溢れ、幾ら見ても見飽きる事のないほどの愛嬌は類が無いほど素晴らしかった。
若君は成長するにつれて、あきれるほど人見知りをするようになった。あまり見慣れない女房にさえ顔を見せず、父の大将に対してもよそよそしく恥ずかしいがる有様であった。大将は若君に漢籍を学ばせ、男子としての教養を教えようとしたが、本人はその気が無く、ただひどく恥ずかしいと思うばかりで、御帳の中に篭り、絵描き・雛遊び・貝覆といった女性の遊びばかりしていた。大将はいつも情けないと叱るのだが、その度に若君は涙をこぼした。また普段はもっぱら母上や乳母、或いはごく幼い女童にしか顔を見せず、それ以外の女房などが来るものなら、恥ずかしさのあまり几帳の裏に姿を隠すので、大将は「全く妙な子どもだ」と思い嘆いていた。
一方の姫君はとてもいたずら好きで、めったに家の中にいる事はなく外にばかりいて、若い男や童と一緒に鞠や小弓ばかりして遊んでいる。客間に客人が来て漢詩を作ったり笛を吹いたり和歌を詠ったりしているとその場に走り出てきて、誰が教えた訳でもないのに琴や笛を巧みに演奏し、詩を吟じ歌を詠ずるのであった。客人の殿上人《てんじょうびと》や上達部《かんだちめ》達は、そんな姫君を誉めそやし教えたりしながら、「こちらの奥方の子どもは姫君だと聞いていたが若君の間違いであった」と頷き合っていた。父大将がいる場合は取り押さえてでも隠すのであるが、客人が来ると衣装を調えている間にさっと走り出てきて人見知りせず遊ぶので、止める事も出来ない。その為、客人はすっかり若君と思い込み、面白可愛がりながら相手になっているので、大将も敢えて訂正をせずそのままにしていたが、その心中は誠に情けなく、ただひたすら「とりかへばや(若君と姫君を取り替えたい)」と思うのであった。
大将は、二人の子どもが幼いうちは「いつか直るに違いない」と自分を慰めていたが、次第に成長して十余歳になっても同じままなので、年とともにどうしたものかと嘆くばかりであった。時間が過ぎればいずれ自分で分かるに違いないと、じっと我慢していたが一向に直りそうにない。これはきっと世間に例のない事だと、不安な気持ちは増すばかりである。
大将は今や気軽に外歩きも出来ない身分なので、屋敷を広々と造り、西と東の対の屋に二人の夫人を住まわせ、玉台のように美しく磨きたてた中央の寝殿を自分の居間とした。自分が満足出来るような夫人がいない事を残念に思っていたが、それを表に出さず、それぞれの夫人の元に十五日ずつ羨み合う事がないように通った。また二人の子どもは、人々が呼ぶままに、姫君を「若君」、若君を「姫君」と言い慣わした。
ある春の日の事、大将は物忌みの所在無さに姫君(兄)の住まう屋敷に行ってみると、例によって御帳の内で筝の琴をひっそりと弾きすましていた。女房達もここかしこに集まって碁や双六を打り、大層のんびりとした様子である。
大将は御帳を押し遣った。
「どうしてお前はこのように部屋の内に閉じ篭ってばかりいるのだ。今は盛りの桜の花の美しさを見てはどうだ。女房達も気が詰まって、詰まらなく思っているのではないか」
床に腰を下ろし、姫君を見た。
髪は身の丈よりも七八寸ほど長く薄《すすき》が穂を出した秋の風情に似ており、その先がなよなよとなびく様は、物語に「扇を広げたようだ」と大げさに書いてあるほどではなく、ちょうど心惹かれるような様であった。昔のかぐや姫もこれほど美しくはなかったであろうと、じっと見ているうちに涙に目が曇ってしまう。
「どうしてこのように美しくなったのだ」
大将は姫君の近くに寄り、涙を目に一杯に浮かべ髪をかき上げた。姫君はとても恥ずかしげに耐えられぬ風情で汗を浮かべ、上気した顔は紅梅が咲き出したように艶やかに輝いていた。今にも涙が零れ落ちそうな目元がいかにも悲しそうなので、大将は涙を誘われ、ただひたすらに哀れに思った。
姫君はさすがに化粧はしないのだが、それがかえって美しさを引き立てている。額髪も汗にまみれ、わざと指でひねったように形よく垂れ下がっており、可憐で魅力的である。女は白粉を塗り立てるのではなく、このように素顔でいるのがよいと、大将は思った。
姫君は十二歳になるのだが発育に遅れたところはなく、背丈も高く、大層なまめかしい様子である。着馴れた桜色の衣を六重襲《むえがさね》にし、配色の落ち着いた葡萄染《えびぞめ》の袿《うちき》を着こなしているが、人柄の良さに引き立てられて、袖口・裾の褄までがいかにも趣がある風情である。
大将は「困った事だ、尼にでもするしか手はないだろうか」と考えるにつけても、口惜しく涙が止まらない。
いかなりし昔の罪と思ふにもこの世にいとどものぞ悲しき
(どのような前世の罪でこのような子どもが生まれたのかと思うにつけ、この世がますます悲しくて仕方がない)
大将が西の対に渡ると、吹き澄ました横笛の音色が聞こえてきた。空に響き昇るような音色にじっとしていられないような気持ちになる。これはきっと彼が吹いているに違いない――と思うと心が乱れるのだが、そこを抑えてさりげない顔で若君の部屋を覗くと、若君(妹)は畏まって笛を傍らに置いた。
桜襲《さくらがさね》や山吹襲《やまぶきがさね》など、様々な色を重ねた袿《うちき》に萌黄色の織物の狩衣《かりぎぬ》、葡萄染《えびぞめ》の織物の指貫《さしぬき》を着ている。顔立ちはふっくらとして色艶もとても美しく、目元は利発そうであり、どことなく華やかさに満ち溢れ、指貫の裾まで愛敬が零れ落ちるほど魅力的である。その容姿に思わず引きつけられた大将は、一目見ただけで、落ちる涙も悲しさも忘れ、思わず微笑んでしまうのであった。
「ああ、何という事だ。この若君も本来の女性として大切に育てていたら、どれほど素晴らしく可愛い事であろう」
若君の髪は長さこそ短いが裾は扇を広げたようで、背丈に少し足りないほどの長さで乱れ下がっている。その様を見るにつけ微笑を禁じえないのだが、一方で大将の心の内は暗く落ち込んでいた。身分の高い子どもが大勢いる中で、彼らと共に碁や双六を打ち、賑やかに笑い騒ぎ、鞠や小弓で遊んでいるのも、何とも異様な情景である。
「本当に困った事だ、このままでいいのだろうか。今となってはどうしようもなく、無理に女として扱う事は出来ない。これも出家させて法師にし、後世の勤めをさせるしかなさそうだ。だが子ども達にしてみれば、そのようなつもりは毛頭なかろう。それに、これだけ素晴らしい美質で生まれた宿世であるのだから、もう少しましな事がありそうだ。心底から仏道に志していないうちに出家してしまい、中途半端に終わると具合がよくない。それにしても世に例のない不幸な宿世である事よ――」
大将は繰り返し繰り返し、嘆いた。
身分の高い子どもは普通はだらしなくなるものだが、この若君はしっかりしており、今から頼もしい様子である。学問にも優れ朝廷の補佐役にもふさわしく成長している。琴笛の音も天地を響かせるほど素晴らしく並々ではない。読経や和歌・詩の朗詠などをする声も、「斧の杖も朽ち果て故郷に帰るのを忘れてしまうほど」と故事にある言葉通りである。このように何事につけても欠点のない若君だが、正体を知る大将が思い乱れるのも気の毒だと言う他なかった。