やがて、このように若君の学識や容貌が優れている事が世間の評判となった。それを耳にした帝や東宮が若君に関心を持った。
「それほど何事にも優れているのならば、殿上もさせず人々と交際させないでいるのはどういう事だ」
大将に子どもを出仕させるように勧めた。だが、当の本人は情けなく決まりが悪いので、まだ幼い事を理由に外に子どもを外に出さない。
「大将は我が子が童姿のままでは人目にさらしたくないのであろう」
帝は五位の位まで無理に授けた上で、早く元服させて出仕させるようにと再三命じた。大将は、参内を拒む理由がなくなってしまった。
「そういう事であるのなら、成り行きに任せるしかあるまい。これも前世の宿縁で、男女を入れ替えて生きる運命なのであろう」
思い直した大将は裳着《もぎ》と元服《げんぷく》の儀式を急いで準備する事にした。
儀式の当日になると、姫君と母親の東の君が一際美しく整えた寝殿に渡り、祖父の大殿が裳着の腰紐を結ぶ役目をした。第三者に依頼しないのは変則的ではあるが、大将としてはやはり都合が悪かったからであろう。
この様子を耳にした人々は、男女が取り替えられているとは考え付かないので、「若君と姫君を思い違えて聞き誤っていたのだ」と一様に納得していた。ごく稀に事情を知っている人は口外すべき事ではないと心得ていたので、世間に真相を知る人はおらず、大将にとってはせめての救いであった。
若君の加冠《かかん》の役は、大将の兄である右大臣が行った。若君が髪を結い上げたその姿は以前から噂になっていた以上に素晴らしく、引き入れ役の右大臣が比類なき若君の美貌に絶賛するのも当然である。
この右大臣は、四人の姫君を子どもに持っていた。大君は帝の女御、中の君は東宮の女御であったが、後の三の君・四の君はまだ未婚であったので、二人のいずれかをこの若君と結婚させたいと思っており、祝儀や贈物などはこの世にないほどの贅美を尽くしたものであった。
なお若君は元服前から五位に叙されていたので、人々は大夫《たいふ》の君と称した。
やがてその年の秋に、若君は侍従《じじゅう》になった。
帝・東宮を始めとして天下の全て男女は、この君をただ一目見ただけでいつまでも忘れる事が出来ないほどであった。だから高貴な家柄の子とはいうものの、帝や東宮が寵愛する事は当然の事である。
琴や笛の音に漢詩や和歌、何気に書き流した筆遣いまでが、類ないほどの素晴らしく、普段からの振る舞いや他人との交流の様子も、顔立ちはもちろんの事、身の処し方も今から申し分がない。世間の事や朝廷の儀式にも熟知しており、何事につけても優れていた。父の大将は、「さてどうしたものか。これもしかるべき運命なのだろうか」と嘆いていても仕方ないので、若君が次第に立派になっていく様を嬉しく愛しく思い、心の慰めとしていた。
若君は、幼いうちは自分の振る舞いを気にせず、自分と同じような人間も世間にいるに違いない――と思い、自らの心のままに行動していたのだが、次第に他人の様子を見聞きして、女でありながら男の姿をしている自分が浅ましく思うようになった。だがしかし、今さら考え直してもどうしようもない。
「どうしてこのように普通の人と違ってしまったのであろう」
自分の胸の内でいつも嘆いていたが、慎重に身を処し、人から離れて宮仕えするその様は、誠に健気であった。
当時の帝は四十余歳で、たいそう立派であった。また東宮は二十七、八歳で、容貌もいかにも皇族らしい気品を備えており気高かった。この二人の耳に、侍従の君(若君)の妹の容貌が評判高く優れているという話が入り、双方が気に留めていた。だが父・大将は、姫君がどうしようもなく引っ込み思案である事を理由に入内を断り続け、「素直に招きに応じる事が出来たらどれほどよかったか」と嘆いていた。
帝には亡き后との間に皇女・一の宮がいたのだが、彼女が一人身である事を哀れに思い、肌身離さず大切に育てていた。この皇女以外に、帝にも東宮にも子どもがいないのを、人々は天下の大事として男御子の誕生を祈願していた。右大臣の女御が帝の側に仕えていたが、摂政・関白の娘ではないので、皇后にはなれないでいた。
帝は女一の宮の事を常に心に掛け不憫がっていたが、後見がしっかりしていない為か、ひどく若く頼りない様子であった。一方、侍従の君がこの世の者とは思えぬほど美しくなってゆくのを見て、行く行くは彼女の後見をさせたいと思っていた。
「侍従は美しい妹を見慣れているので、宮に対して失礼な態度をするかもしれない。まだ一の宮は子どもだから、もう少し成長してからにしよう」
このような帝の意向を漏れ聞くにつけ、大将は心が落ち着かず、「ああ、侍従がこんな状態でなければ、どれほど名誉で喜ばしかったであろう」と残念で情けなく思うのであったが、微笑を浮かべて聞くしかなかった。
一方の侍従の君は非常に聡明で、年の若さに合わないほどに立派で、宮中の局に仕える女房達は彼を見る度に心を奪われ、「ほんの一言でもいいから何とかして声を掛けられたい」と、目立つように振舞うのであった。だが侍従の君自身は、自分が普通でない事を知りながら、男として成長した身を今更隠す事も出来ずに宮仕えしているので、女房達に目を留める事はない。ひどく真面目に身を慎んでいる侍従の君を、物足りなく残念だと思う人は多かった。
当時の帝の叔父に、式部卿宮《しきぶきょうのみや》という人がいた。この人には子どもが一人いた。侍従の君より二つほど年上で、容貌や形姿は侍従の君ほどではないが普通の人より遥かに優れ、上品で美しく人柄も例えようがなかった。また色好みの方面に掛けては抜け目がなく、なまめかしい上に物柔らかな態度で、どんな女性にも興味を持った。そんな彼が、大将の姫君や右大臣家の四の君が、どちらも評判高く噂されているのを聞き、「何としてでも手に入れたいものだ」と強く思うのも当然であった。しかるべき伝から強引に近づき、胸中の思いを手紙に託して訴えたが、人柄が軽薄なので、「ちょっとした関わりもとんでもない事だ」と、双方から敬遠されて返事すら貰えず、とても落胆していた。
彼は、侍従の君があまりにも誠実で乱れたところがないのを物足りなく思っていたが、類のないほど愛敬に満ち溢れる様を見るにつけ、ため息をついた。
「こんな女がいたら、どんなに素晴らしい事だろうか。彼の妹もきっとこのように美しいのだろう。いや、もっと素晴らしいに違いない」
まだ見ぬ姫君の姿を想像し、諦める事も出来ない。あまりの切なさに侍従の君を相手に語らうのであったが、時には思い余り涙も隠さずしみじみと憂い泣いたりした。侍従の君はそんな彼を見て気の毒に思い、他人より親愛の情を込めて話し相手になっていたが、自分自身は心を打ち解けて気を許す事も出来ない。
侍従の君は、姫君の身の上が通常ではない事を思い知らされているので、相手が姫君の事を話題にする度に、侍従の君は胸が潰れる思いで、熱心に相手をする事もせず、言葉少なく気のない返事をした。そんな侍従の君を妬ましくも恨めしいと、相手が涙も堪えず沈み込んでいる様を見る度に、複雑な気持ちになるのであった。
類なき憂き身を思ひ知るからにさやは涙のうきて流るる
(私は類のない辛い身の上を知っています。しかし、そんな私でも貴方のように涙を流す事はしませんのに……。)
「何をそんなに思い込んでいるのか」と相手から問い掛けられても答えようがないので、ただつれなくそっけない態度で分かれるのであった。
そうこうしているうちに、帝は体調を崩してしまった。
「病が長く続くのは、しかるべき時が来たからであろう。昔もそういう例がなかった訳ではない」
そう考えた帝は東宮に帝の位を譲り、女一の宮を新しい東宮に据え、自分は朱雀院《すざくいん》の御所に移った。
一方、侍従の君の祖父も七十歳もの高齢で、病気も重くなる一方だと感じていたので、剃髪して仏門に入った。代わりに、侍従の君の父が左大臣に就任し関白を継いだ。
そのほかの公卿達も次々に昇進し、侍従の君は三位中将《さんみのちゅうじょう》になった。
右大臣は、娘の女御が后にならずに終わってしまったのをとても残念に思っていたが、中将の君の人柄がとても優れていて、少しも軽率な振る舞いがないという話なので、これ以上の条件は望めないだろうと、左大臣に結婚の話を申し入れた。
左大臣はおかしな事になったと思いながらも断りようがないと考え、申し入れを承諾する事にした。
「どういう訳でございますか、私の息子は世間並みの関心はまるでないようです。しかしながら、誠実さだけは人様から感心して頂いております――」
だが後から心配になり北の方に事情を話すと、北の方は笑って答えた。
「四の君は子どもっぽく育った娘御だと聞いています。変だと怪しんで口にする事もないでしょう。ただ親しく話をして、人目には世間並みの夫婦のように振舞って出入りすれば問題ありません。あの子は立派な後見役ですよ」
中将の君はまだ若く心配な点もあるが軽はずみなところはないので、左大臣は安心して先方に求婚の文を書かせた。中将の君は勝手が分からなかったが、四の君が評判の女君であったので懸想の筋だろうと考えて、次のような文を書いた。
これやさは入りて繁きは道ならん山口しるく惑はるるかな
(ここが踏み込むと繁みに迷ってしまうという恋の道なのでしょう。山の登り口で早くも迷っております)
その筆跡は何とも言えないほどすばらしいものであった。中将の君の年の若さを考えると、どうしてこのように優れているのだろう――と左大臣は嬉しくも悲しい気持ちで涙ぐんでしまうのであった。
一方の右大臣はようやく得た承諾なので返事をせきたてて書かせた。
麓よりいかなる道に惑ふらん行方も知らず遠近の山
(麓から迷っているとの事ですが、あちこちに女性がいるから迷っているのではないですか)
こうして歌を交わし合ってからは、いつも中将の君から四の君に懸想文が届いた。右大臣は自分から申し出た事もあるので、結婚の日取りをいついつの日と決めた。権勢のある家で、特に大切に育てられた娘に、関白左大臣家の三位中将を婿として迎える事が出来た気分や様子は、並一通りであるはずがない。
その頃、大納言が亡くなった関係で中将の君も昇進し、権中納言《ごんちゅうなごん》になり、左衛門督《さえもんのかみ》を兼ねる事になった。とても華やかで、「素晴らしい」というのも愚かしいほどであった。
式部卿《しきぶのきょう》の宮の中将も、中将を兼ねたまま宰相に昇進したが、思いを掛けていた四の君が、古今集にある「須磨のあまの塩焼く煙」のように思わぬ方へなびいてしまった事を気にしていて、中納言の祝い事にもそ知らぬ顔をし、たまたま顔を合わせても少しよそよそしい様子で沈んでいた。
「どうして四の君は、これほど思い焦がれている人を頼みにしないで、自分を婿として選んだのだろうか」
中納言はおかしくも奇妙な気持ちで相手を見ていた。
中納言は十六歳、女君(四の君)は十九歳で、容姿も心馳せもよく整い、年齢をはじめ不足なところはない夫婦であった。女君は、姉達よりも大切に育てられたという自負心からも、かねてより内心では皇后の位につく事が出来る身であると思っていたが、予想に反して中納言と結ばれてしまった事を、態度にこそ出さなかったが心の内では悔やんでいた。だが、中納言の人柄が優雅で、疎ましい態度も見せず心のこもった愛情を注ぐので、親しんでいくにつれて、軽んずる気持ちも薄れていった。
夜の衣でも、人目には共寝をしているようにして、互いに一重の隔てを置いて夫婦の契りを結ぶ事もなかったが、そんな深い事情を知る者はいなかった。人目に立つような親密さを見せる事もなく、ただ上品で睦まじい仲に見えた。
「これほど円満な有様ならば、幾千年を経ようとも何の不満もあるまい。中納言はどこか打ち解けないように見えるが、まだ若いので恥ずかしく思っているのだろう」
右大臣はそう納得し、大切に世話をした。
中納言は好色めかしくあちこち遊び歩く様子は全くなく、父の左大臣邸や内裏の管弦の遊び以外に夜遊びもしない。ただ、毎月四五日は、月の障りの為に人に会う事も出来ず、「物の怪の為に具合が悪いのです」と断って乳母の里に身を隠すのを、右大臣はいぶかしく思っていた。