花桜折る中将 (所感)

ストーリー構成について

 物語の基本「起承転結」を踏まえた作品で、最初に美しい姫君との出会いを書き、主人公の日常を描きながら話を盛り上げ、最後に一気に落とす、その筆力は見事と言うしかありません。

 文体については、正直言ってさほど格調高くありませんが、あくまで短編ですので、これくらい読み易くてちょうどだと思います。――若干、難解な文章もありますが。




登場人物について

 一人一人に対してコメントをしておきます。


主人公(中将の君)

 源氏物語を代表とする王朝文学の男性主人公達がそうであるように、この作品の主人公もかなりの「好き者」として描かれています。

 一夜を過ごした女がしっくりせず、夜明け前に抜け出して屋敷に帰る途中、とある屋敷の桜を眺めながら昔の女の事を思い出し「尼になったのだろうか」と同情した直後に、偶然にも屋敷の女房達を垣間見し、そこに現れた美しい姫君に心奪われ、遂には強奪を計画してしまう――という、板に付いたプレイボーイ振りを見せてくれます。

 外見やたしなみ(歌、琵琶)に関してもピカイチで、周囲の人々に「絶世の美女と言えどもこれほどではあるまい」と言わしめる程カッコイイ男なのですが、一方で、気になる姫君の話になると思わず熱くなってしまう熱情的な側面もあります。結局、この性格が仇となるのですが、それはそれで「かわいいな」と思えてしまうところも彼の魅力の一つなのでしょう。


 ちなみにこの主人公ですが、底本によって「少将」や「大将」として扱われていますが、個人的には次の二つの理由から「中将」であって欲しいと思います。

 一つ目は、源中将と兵衛の佐が遊びに来る場面で、歌のやり取りがあるのですが、ここに「少将」も「大将」も出て来ないからです。つまり、主人公が「少将」「大将」だった場合、この場面で主人公は全くの蚊帳の外になってしまうのです。例の姫君を懸想して心ここにあらず、という事も考えられますが、ここはやはり最後の「散る花を〜」の歌の作り手となってもらうのが、一番素直なストーリー展開だと思います。

 二点目の理由が、どんでん返しの直前にある「中将の乳母」に関係します。この箇所、「少将」「大将」の場合はいきなり「中将の乳母」が出てきて面食らいますが、どの解説書を読んでもしっくりしません。やはり「中将」の「乳母」がこっそり告げ口をした、と解釈するのが適当かと、私は思います。


光季

 特に明示してありませんが、主人公(もしくは主人公の父親)の家来の一人と思われます。

 主人の無理難題(=姫君強奪案)に「何とかしたいのですが、さてどうしましょうか」と頼りない返答をした後で、きっちりと手はずを整えてくるその行動力、見事です。昼行灯的なところが魅力ですね。

 余談になりますが、前半、主人公が女房達を垣間見る場面で、大人びた女房の会話に出て来る「季光」が、この屋敷での仮の呼び名であるという説があります。


源中将と兵衛の佐

 主人公の遊び仲間と思われます。二人ともそれなりに風流のある人物として扱われていますが、あくまでも引きたて役のようです。


姫君(故源中納言のむすめ)

 主人公が思い続ける女性ですが、姿やひととなりに関しては最後までほとんど謎のままです。公開する情報を絞る事によって、読者の想像力を掻き立て、姫君に対する「神秘性」を高める効果はもちろんの事、これを読んだ当時の女性が、密かに姫君と自分とを重ね合わせる事が出来る、という面もありそうです。


 光季と共に重要な位置付けの人物なのですが、文中でかなり手厳しく叩かれています。

 姿は美しくとも「いたうなえすぎて宿直姿なる」と、身だしなみがなっていない事をしっかり指摘しており、しかもその後に続く、大人びた女房に駄々をこねる様を描写する事で、「分別をわきまえる事が出来ない子どもである」というイメージを、読者に提示しています。

 極めつけがラスト直前、光季に説得される場面で、自分の上司(大将と姫君の祖母)に対する愚痴を散々言わせた後で、説得された事に対して「若き人の思ひやりすくなき(若者にありがちな浅慮)」と切って捨て、追い討ちをかけるように、姫君に手紙を渡さなかったミスを指摘する――読んでいて同情を感じずにはいられません。

 個人的には、この作品で一番人間らしいのが彼女で、どこか垢抜けていない可愛らしい姿を想像したのですが、それは恐らく異性からの目だからであって、女性から見るとまた違った評価になるのではないかと思いました。

 ご存知のように、王朝文学のほとんどは読者が女性です。現代でもそうなのですが「天然系」の性格の人が同性に嫌われる傾向が強い事を併せて考えると、作者としては「この童はツカエナイ」という事を言いたかったのではないかと思います。


祖母上(老尼)

 もう一人、作者にばっさりと切られてしまっているのがこの人です。物語のオチとして使われてしまっている時点で十分あわれなのに、文中、とことん醜く描写されています。(私の訳では、この箇所は誤魔化してあります。)

 中でも私が一番かわいそうだと感じたのは、原文最後の文章です。


「御かたちはかぎりなかりけれど」


 この前後を訳すと、「(牛車の中に居たのは老婆だった。)その後どうなったかは不明であるが、何とも間の抜けた話である。老婆は限りなく美しかったのだが」となります。全てが明らかになり「何とも間の抜けた話である」と所感を述べた上で、どうして駄目押しで「老婆の容姿」を問う必要があるのか――。非常に残酷な表現だと感じました。

 なお、この一文に関しては、「美しい」対象が主人公であるという説もありますが、文脈から考えるとどうもしっくりこないので、個人的には賛成しかねます。


(名も無き女)

 物語の始まりでいきなり主人公に見切られ、夜が明けないうちに逃げられてしまいますが、機転の利いた返歌で見直される――ただそれだけの役割の女性です。

 しかし、実は彼女こそが物語の影の主人公ではないかと、私は思います。




作者について

 堤中納言物語に収録されている作品は、「逢坂越えぬ権中納言」以外は作者が不明となっておりますが、この作品に関して言えば、ストーリー構成から考えると、少なくとも性別に関しては十中八九「女性」だと考えます。

 素敵な男性への憧れ、若さに対するある種の妬み、老いに対する恐れ、そして幸薄い女性の援護――年頃の女性が共感するであろうポイントを上手く押さえているところが、女性の観点ならではの作品だと思います。また、文中で厳しく批判されている童と同罪であるはずの光季に対して、好意的な表現しか存在しないのも、異性に対する一種の「憧れ」のようなものではないかと感じました。


 この物語で最もよいポジションをキープしているのは、他でもない、冒頭で主人公に半ば捨てられた、名も無き女性です。姫君の強奪に失敗した主人公の失態を笑いながら、結局は彼女の元に帰ってくる――そんな未来を示唆しつつ物語は終わりますが、それは作者の見果てぬ夢であるような気がしてなりません。