三条中納言、水飯を食う語 (現代語訳)

 今は昔、三条中納言という人がいた。名を藤原朝成と言い、三条右大臣(藤原定方)の六男であった。様々な知識に優れ、唐土(中国)と本朝(日本)に関するあらゆる事に通じ、思慮深い上に豪胆で押しの強い性格であった。笙の名手としても名を知られていた。また数々の徳により一家の財力も豊かであった。

 身の丈が高く非常に太っていたのだが、苦しい程まで肥満してしまったので、ある日、医師の和気某を呼んで相談する事にした。

「――いつの間にやらこんなに太ってしまったが、どうにかならないか。立ち居につけて体が重く、苦しくてどうにもならんのだ」

「それならば、冬は湯漬け、夏は水漬けの御飯を召し上がるのがよろしいかと」

「なるほど。それは良い考えだ」

 中納言は満足げに大きく頷いた。

「それでは、暫くそこで私の食事を見てくれないか」

「畏まりました」

 中納言は手を叩いて侍を呼んだ。

「誰かおるか。――いつも食べるように水飯を持って来なさい」

 暫くすると侍は台を持ってきて中納言の前に据えた。

 台の上には箸の台だけが乗っていた。続いて皿を持って来た。侍が台に置いたのを見ると、中くらいの盆の上に9センチ余りの白い干瓜が切らずに十個ばかり盛ってある。また別の皿には、大振りで身幅の広い鮎を尾頭付きのまま鮨にしたものを三十くらい盛ってある。

 医師が呆気に取られている間にも、今度は別の侍が大きな銀のひさげに銀のさじを立てて重そうに持って来た。

 中納言は金椀を取って侍に差し出し、

「これに盛れ」

 と命ずると、侍は銀のさじで飯をすくってうず高く盛り上げ、脇に水をほんの少し入れて中納言に渡した。

 中納言は台を手元に引き寄せ、金椀を持ち上げた。他人の目には何とも大きな椀だったが、中納言にはちょうどよい大きさのようであった。

 まず干瓜を三切れ、次に鮨鮎を二切れほど食い切ったかと思うと、五つ六つとあっさりと平らげてしまった。続いて水飯を引き寄せて、二度ほど箸でかき回したと見るうちに、たちまちに飯はなくなってしまった。

「もう一膳盛れ」

 まだまだ食べ足りなさそうに中納言は椀を差し出した。

 医師はこれを見て呆れ果て、

「……あの、失礼を承知で申し上げまするが、その、例え水飯だけを召し上がるとしても、左様な食べ方をされていては、とてもご肥満は治りませぬ……」

 と言ってその場を退散し、後にこの事を人に語って大笑いした。

 このようであったので、中納言はますます太って相撲取りのようであったと語り伝えられている。

【主な参考資料】

 「今昔物語集」 本朝世俗部(三)、武石彰夫訳注、旺文社