兄弟二人、萱草・紫苑を植うる語 (現代語訳)

 今は昔、あるところに二人の男の子がいた。ある時、父親が死んでしまったので、二人は嘆き悲しみ、どれだけ年月を重ねても忘れる事が出来なかった。

 二人は父親を土に埋葬し、恋しい時には一緒に墓に行き、涙を流して、我が身の憂いも嘆きも、生きた親に向かって話すように語って帰って行った。

 やがて年月を重ね、二人は朝廷に仕えて、私事を顧みる事も出来ないほど忙しい身となってしまったので、兄は、

「わたしはこのままでは慰められそうにない。萱草(かんぞう)という草は、見る人の思いを忘れさせてしまうと言う。墓の辺に植えてみよう」

 と、萱草を植えた。

 その後、弟は事ある毎に兄の家に行き、

「いつものように墓参りに行きましょう」

 と誘うのだったが、兄はなかなか都合が付かず、一緒に墓参りする事はなくなってしまった。

 弟はそんな兄の態度を嘆かわしく思った。

「私たち二人は父を恋い慕うその心をよりどころにして、毎日を過ごしてきた。兄は既に忘れてしまったと言うが、私は絶対に忘れまい」

 と心に念じ、

「紫苑という草は、見た人の心にあるものを決して忘れさせないと聞く」

 と、紫苑を墓の辺に植え、いつもそこに行って紫苑の花を見ていたので、いよいよ忘れる事はなかった。

 このようにして年を送っていたのだが、ある日いつものように弟が墓参りをすると、突然、墓の中から声がした。

「私はお前の父親の屍を守る鬼である」

 弟はこの声を聞き、恐ろしさのあまり声も出ず答えずにいると、墓の中の鬼は優しい声で続けた。

「何も恐れる必要はない。父親と同様、私がお前を守ってやろう。お前が父親を恋い慕うその気持ちは、年月を送るといえども全く変わらなかった。お前の兄はお前と同様に悲しんでいるように見えたが、忘れ草の萱草を植えて、望み通りに父親の事を忘れる事が出来た。一方のお前は紫苑を植えて、これも望み通りに父親の事を忘れる事がなかった。お前の父親を慕うその志の並ならぬ事に感心した。私は鬼の身とは言えども、慈悲の心があり、ものを哀れむ心は深いつもりだ。――私はその日に起こる善悪の事を予知する力がある。お前の為にこの予言を夢で知らせてやろう」

 弟は涙を流してこれを喜んだ。

 それからというもの、弟はその日に起こる事を毎日夢で見た。身の上に起こる全ての事をはっきりと予知する事が出来た。これは親を恋い慕う心が深かったからである。

 このような事から、嬉しいことのある人は忘れな草の紫苑を植え、また憂いのある人は忘れ草の萱草を植えて、いつも見るべきであると語り伝えられている。

【主な参考資料】

 日本古典文学全集 今昔物語集(四)、小学館