三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語 (現代語訳)

 今は昔、天竺(インド)に兎・狐・猿の三匹の獣がいた。

「我等は前世で生物を哀れまず、財産を惜しんで他人に施さなかったので、地獄に堕ちて長い苦しみを受け、それでも罪が消えなかった為に、このように賤しい獣として生まれた。これからはこの身を捨てる覚悟で善行を行おう」

 三匹は熱心に仏教の修行をし、互いに実の親や兄・弟のように敬い合い、自分の事を顧みずに他の二匹の事を優先した。

 須弥山に住まう帝釈天が、下界の三匹の様子を見て感心した。

「――獣とはいえ誠に殊勝な心掛けである。人間として生を受けた者でさえ、無益な殺生をしたり、他人の財産を奪ったり、自分の父母を殺したり、兄弟で敵視し合ったり、顔では笑っていても心の内では悪意を抱いていたり、恋い慕うような素振りを見せながら実は深く憎んでいたりと、誠にひどい有様である。ましてやこのような獣が本当に仏の心を抱いているとは正直言って信じ難い。一つ試してみよう」

 弱々しい老人の姿を変えると、三匹の前に現れた。

「儂は疲れ果てた老いぼれ。子どもがおらぬ上に家も貧しく食事もままならない。――聞くところによれば、そなた達は哀れみの心が深いとの事。一生のお願いじゃ、慈悲の心があるのならばこの儂を養ってもらえぬだろうか?」

「こちらこそ願っても無い事。すぐにでも養って差し上げますよ」

 三匹は喜んで老人の申し出を受け入れた。

 猿は木に登り、クリ・カキ・ナシ・ナツメ・ミカン・タチバナ・サルナシ・ツバキ・クリ・ムベ・アケビなどを取り、また里に出ては、ウリ・ナス・ダイズ・アズキ・ササゲ・アワ・ヒエ・キビなどを取ってきて、老人の好きな食べ物を食べさせた。

 狐は墓小屋の辺りに行き、供え物の餅やご飯、アワビやカツオ・様々な魚を取ってきて思うままに食べさせたので、老人はすっかり満腹になった。

 数日後、老人は満足そうに猿と狐を見ながら言った。

「お前さん達二匹は本当に哀れみ深い。既に菩薩と言っても過言ではあるまい」

 老人の言葉を聞いた兎は自分の心を励まして、灯火を取り香を取り、背を丸め耳を長くし、目を大きく開いて前足で踏ん張り、尻の穴を広げた格好で、東西南北求め歩いたが、目的のものがどうしても見つからなかった。

 このような様であったので、猿や狐そして老人までが、兎を辱めたり嘲り笑ったり励ましたりしたが力及ばず、食事となるものを見つける事が出来なかった。

「老人を養う為に食べ物を探し歩いたが、野山はとても危険だ。このままでは人や獣に襲われて食べられてしまうだろう――」

 兎はある決心を胸に、老人の元に行きこう言った。

「わたしはこれからおいしい食事を探してきます。焚き木を拾って火を起こし待っていて下さい」

 猿が枯れ木を拾い集め、狐がそれに火を付けて、何かを見つけて帰ってくるかもしれないと期待して待っていると、いつものように兎が手ぶらで戻ってきた。

 猿と狐はこの様を見て憤慨した。

「お前は一体何を持って来たと言うんだ。――全く予想通りの結果だ。嘘を言って人を騙し、木を拾わせて火を焚かせて暖を取ろうというつもりか。憎たらしい奴め!」

 兎は首を振った。

「……確かにわたしは食べ物を持ってくる力がありませんでした。ですから、このわたしの身を焼いてお食べ下さい」

 そう言うか、火の中に踊り入って焼け死んでしまった。

 帝釈天は元の姿に戻ると、全ての生き物達に兎の行動を見せる為に、焼け死んだ姿を月の中に移した。

 今でも月の表面に雲のようなものがあるのは、この兎の焼け死んだ煙である。また月の中に兎がいるというのはこの兎の事である。全ての人は月を見る度にこの兎の行動を思い出すべきである。

【主な参考資料】

 今昔物語集(五)、国東文麿全訳注、講談社学術文庫