震旦の併州の石壁寺の鳩、金剛般若経を聞きて人に生るる語 (原文)

 今は昔、震旦の并洲に一の寺有り。名をば石壁寺と云ふ。其の寺に一人の老僧住しけり。若くより三業に犯す所無くして、常に法花経及び金剛般若経を読誦して怠る事無し。

 而る間、此の僧の住む房の軒の上に鳩来りて、巣を喰ひて二の子を産みたり。僧、此の鳩の子を哀びて常に食物の時毎に、食を分ちて巣に持て行きて此を養ふ。鳩の子、暫く、勢、長じて未だ羽生ひ定まらざるに、飛び習はむとして巣より起つ程に、鳩の雛飛び得ずして土に落ちぬ。即ち、二乍ら死にぬ。僧、此を見て、哀びの心深くして泣き悲しみて、忽に土を掘りて此を埋みつ。

 其の後、三月許を経て、僧の夢に二人の児出で来りて僧に向ひて云く、「我等、前世に少しきの罪を犯せるに依りて、鳩の子と生れて聖人の房の軒に有りし間、聖人の養育を得て、既に勢、長じて巣より立つ間、不慮の外に土に落ちて死にき。而るに、聖人の常に法花経及び金剛般若経を転読し給ひしを聞きし功徳に依りて、今、人間に生ずる事を得可し。即ち、此の寺の辺を十余里を去りて、□方に其の郷其の県其の家に生れむとす」と云ふと見て夢覚めぬ。

 其の後、僧、十月を過ぎて実否を知らむが為に彼の夢に見し所を問ひて行きて尋ぬるに、「有る一の家に一人の女有りて、同時に二人の男子を産せり」と人有りて云ふを聞きて、其の家に行きて尋ぬるに、二人の男子を見る。僧、児に向ひて「汝等は此、鳩の児か」と喚ふに、二人の児、共に答ふ。

 僧、児の答へを聞き、亦、夢に見し所に違ふ事無ければ、哀れに悲しき事限り無し。然れば、其の母に向ひて、本の有様及び夢に見て尋ね来れる由を語る。母及び家の諸の家の人、此の事を聞きて皆涙を流して哀がる事限り無し。僧深き契を成して本の寺に返りぬ。

 此を以て思ふに、諸の僧有りて経を読誦せむ時に、諸の鳥獣見えば、必ず読みて聞か令む可き也。鳥獣、分別無しと云へども、法を耳に触れつれば必ず利益を蒙る事此の如き也となむ語り伝へたるとや。

【主な引用資料】

 「今昔物語集(七)」 国東文麿全訳注、講談社学術文庫