貝合 (原文)

 長月の有明の月にさそはれて、蔵人の少将、指貫つきづきしく引きあげて、ただひとり小舎人童ばかり具して、やがて朝霧もよく立ち隠しつべく、ひまなげなるに、

「をかしからむところの、おあきたらむもがな」

と言ひてあゆみ行くに、木立をかしき家に、琴の声ほのかに聞ゆるに、いみじううれしくなりてめぐる。

 門のわきなど、くづれやあると見けれど、いみじく築地などまたきに、なかなかわびしく、「いかなる人の、かく弾きゑたるならむ」と、わりなくゆかしけれど、すべきかたもおぼえで、例の、声いだせて随身にうたはせたまふ。


行きがたも忘るるばかり朝ぼらけひきとどむめる琴の声かな


とうたはせて、「まことに、しばし、内より人や」と心ときめきしたまへど、さもあらぬはくちをしくて、あゆみ過ぎたれば、いと好ましげなる童べ四五人ばかり走りちがひ、小舎人童、男など、をかしげなる小破子やうのものをささげ、をかしき文袖の上にうち置きて、出で入る家あり。

「何わざするならむ」とゆかしくて、人目見はかりて、やをらはひ入りて、いみじくしげき薄の中に立てるに、八つ九つばかりなる女子のいとをかしげなる、薄色の衵、紅梅などみだれ着たる、小さき貝を瑠璃の壺に入れて、あなたより走るさまのあわたたしげなるを、をかしと見たまふに、直衣の袖を見て、

「ここに人こそあれ」

と何心もなく言ふに、わびしくなりて、

「あなかまよ。聞ゆべきことありて、いと忍びて参り来たる人ぞ、と寄りたまへ」

と言へば、

「明日のこと思ひはべるに、今よりいとまなくて、そそきはんべるぞ」

とさへづりかけて、往ぬべく見ゆめり。

 をかしければ、

「何ごとの、さいそがしくはおぼさるるぞ。まろをだにおぼさむとあらば、いみじうをかしきことも人は得てむかし」

と言へば、名残なく立ちどまりて、

「この姫君と上の御方の姫君と、貝合せさせたまふとて、月ごろいみじく集めさせたまふに、あなたの御方は大輔の君、侍従の君と『貝合せさせたまはむ』とて、いみじく求めさせたまふなり。まろが御前は、ただ若君ひとところにて、いみじくわりなくおぼゆれば、ただ今も姉君の御もとに人やらむとて。まかりなむ」

と言へば、

「その姫君たちのうちとけたまひたらむ、格子のはさまなどに見せたまへ」

と言へば、

「人に語りたまはば、母もこそのたまへ」

と怖づれば、

「ものくるほし。まろはさらにもの言はぬ人ぞよ。ただ、人に勝たせたてまつらむ、勝たせたてまつらじは心ぞよ。いかなるにか、人も入るふち」

とのたまへば、よろづおぼえで、

「さらば語りたまふなよ、隠れつくりて据ゑたてまつらむ。人の起きぬさきに、いざたまへ」

とて、西の妻戸に、屏風押したたみ寄せたるところに据ゑ置くを、「ひがひがしく、やうやうなり行くを、をさなき子をたのみて、見もつけられたらば、よしなかるべきわざぞかし」など思ひ思ひ、はさまよりのぞけば、十四五ばかりの子ども見えて、いと若くきびはなるかぎり十二三ばかり、ありつる童のやうなる子どもなどして、手ごとに小箱に入れ、物の蓋に入れなどして、持ちちがひさわぐ中に、母屋の簾垂に添へたる几帳のつまうちあげて、さし出でたる人、わづかに十三ばかりにやと見えて、額髪のかかりたるほどよりはじめて、この世のものとも見えずうつくしきに、萩襲の織物の袿、紫苑色など押しかさねたる、頬杖をつきて、いとものなげかしげなる。

「何ごとならむ」と、「心苦し」と見れば、十ばかりなる男に、朽葉の狩衣、二藍の指貫しどけなく着たる、同じやうなる童に、硯の箱よりは見劣りなる紫檀の箱の、いとをかしげなるに、えならぬ貝どもを入れて持て寄る、見するままに、

「思ひ寄らぬくまなくこそ。承香殿の御方などに参りて聞えさせつれば、これをぞ求めえてはべりつれど、侍従の君の語りはべりつるは、『大輔の君は、藤壺の御方より、いみじく多くたまはりにけり』。すべて残るくまなくいみじげなるを、いかにせさせたまはむずらむと、道のままも思ひまうで来つる」

とて、顔もつと赤くなりて言ひゐたるに、いとど姫君も心ぼそくなりて、

「なかなかなることを言ひはじめてけるかな。いとかくは思はざりしを、ことごとしくこそ求めたまふなれ」

とのたまふに、

「などか求めたまふまじき。上は内大臣殿の上の御もとまでぞ、請ひに奉りたまふこそは言ひしか。これにつけても、母のおはせましかば、あはれかくは」

とて、涙も落しつべきけしきども、をかしと見るほどに、このありつる童、

「東の御方わたらせたまふ。それ隠させたまへ」

と言へば、塗り籠めたるところに、みな取り置きつれば、つれなくて居たるに、はじめの君よりは少しおとなびえてやと見ゆる人、山吹、紅梅、薄朽葉、あはひよからず着ふくだみて、髪いとうつくしげにて、たけに少し足らぬなるべし、こよなくおくれたりと見ゆ。

「若君の持ておはしつらむは、など見えぬ。かねて求めなどはすまじとたゆめたまふん0い、すかされたてまつりて、よろづはつゆこそ求めはべらずなりにけれと、いとくやしく、少しさりぬべからむものは、分けて取らせたまへ」

など言ふさま、いみじくしたり顔なるに、にくくなりて、「いかで、こなたを勝たせてしがな」と、そぞろに思ひなりぬ。この君、

「ここにも、ほかまでは求めはべらぬものを。若君は何をかは」

といらへて、居たるさまうつくし。うち見まはしてわたりぬ。

 このありつるやうなる童、三四人ばかりつれて、

「わが母のつねに読みたまひし観音経、わが御前負けさせたてまつりたまふな」

ただこの居たる戸のもとにしも向きて、念じあへる顔をかしけれど、ありつる童や言ひ出でむと思ひゑたるに、立ち走りてあなたに往ぬ。いと細き声にて、


かひなしと何なげくらむ白波も君がたかには心寄せてむ


と言うたるを、さすがに耳とく聞きつけて、

「今かたへに、聞きたまひつや。これは誰が言ふべきぞ」

「観音の出でたまひたるなり」

「うれしのわざや。姫君の御前に聞えむ」

と言ひて、さ言ひがてら、おそろしくやありけむ、つれて走り入りぬ。

「ようなきことを言ひて、このわたりをや見あらはさむ」と胸つぶれて、さすがに思ひゑたれど、ただいとあわたたしく、

「かうかう、念じつれば、仏のたまひつる」

と語れば、いとうれしと思ひたる声にて、

「まことかはとよ。おそろしきまでこそおぼゆれ」

とて、頬杖つきやみて、うち赤みたるまみ、いみじくうつくしげなり。

「いかにぞ、この組入の上より、ふとものの落ちたらば、まことの仏の御徳とこそ思はめ」

など、言ひあへるはをかし。

「とく帰りて、いかでこれを勝たせばや」と思へど、昼は出づべきかたもなければ、すずろによく見暮して、夕霧に立ち隠れて、まぎれ出でてぞ、えならぬ州浜の三曲りなるを、うつほに作りて、いみじき小箱を据ゑて、色々の貝をいみじく多く入れて、上にはしろがね、こがねのはまぐり、うつせ貝などをひまなく蒔かせて、手はいと小さくて、


白波に心を寄せて立ち寄らばかひなきならぬ心寄せなむ


とて、ひき結びつけて、例の随身に持たせて、まだあかつきに門のわたりをたたずめば、昨日の子しも走る。うれしくて、

「かうぞ、はかりきこえぬよ」

とて、ふところよりをかしき小箱を取らせて、

「誰がともなくて、さし置かせて来たまへよ。さて、今日のありさまの見せたまへよ。さらばまたまたも」

と言へば、いみじく喜びて、ただ、

「ありし戸口、そこはまして、今日は人もやあらじ」

とて入りぬ。

 州浜、南の高欄に置かせて、はい入りぬ。やをら見通したまへば、ただ同じほどなる若き人ども、二十人ばかりさうぞきて、格子あげそそくめり。この州浜を見つけて、

「あやしく、誰がしたるぞ。誰がしたるぞ」

と言へば、

「さるべき人こそなけれ。思ひえつ、この、昨日の仏のしたまへるなめり。あはれにおはしけるかな」

と喜びさわぐさまの、いとものぐるほしければ、いとをかしくて、見ゐたまへりとや。



【主な引用資料】

 「堤中納言物語」 三角洋一 訳注、講談社学術文庫